立倉トンネル(大仙市)


円行寺立倉と南外寺沢との境に位置していた道路トンネル。荒廃したまま放置され通行不能となっている。

現地の石碑によれば基礎と思われる隧道が1948年に竣工、現在のトンネルは1972年に完成したと言うが、

2000年代に入る前に通行止めとなっていたようだ。2005年4月初頭と下旬、2006年10月に訪れ、

その頃は徒歩なら通り抜け自体は可能だったが、2015年の時点で規模は不明ながら崩落が起こっているとの情報をネット上で見つけ、

2018年に状況を確認しようと4月から5月にかけて足を運んだ。






2018年4月下旬、時間の都合から南外側を確認するのみに留まった。

寺沢集落から1.5kmほど狭い舗装路を進むとトンネルが現れる。

こちら側に来るのは2005年4月初頭以来となるが、トンネルの直前まで荒れた場所はない。




  


坑口の状況は前回と比べて大差ないようだった。しかし150m程度の直線トンネルの反対側の明かりが全く見えない。

この先で起こっている崩落が並大抵のものでないことを物語っている。







波状の鋼材(ライナープレート)で覆われた内部。腐食した部分から土砂の流出が見られる。






  


奥へ進んで行くと何かによって道路が塞がれているのがうっすらと見えてくる。

内壁下部の錆付きも著しい。閉鎖地点の手前は大きな水溜まりとなっおり、そこまでは踏み込まなかった。







崩落した土砂によって上部が押し潰され、内部を覆っていたライナープレートが垂れ下がり壁のようになっている。

入口からここまで70m程はあるだろうか。







坑口側を振り返る。老朽化は一目瞭然だがこの背後で大崩落を起こしているようには思えない。

しかし今は無事な場所も内壁の腐食が進行し、限界を迎える日も遠くないのかも知れない。









5月に入り、立倉側の状況を確認しに行った。集落からは500m程度だが道路は荒廃が進行しているため、集落前から徒歩での探索となった。

進んで行くと路肩が崩れていたりカーブミラーが倒れていたりして廃道の趣が強くなっていく。







トンネルまであと少しという所で枝に覆われてくる。アスファルトは埋もれてしまっている。自ずと緊張感も高まってきた。







歩いて10分足らず、無残に荒れ果てた坑口はまるで亡霊の如く佇んでいた。




  

  


以前の訪問で内壁の下部の歪みを印象付けられてはいたが、それどころではない。

坑口の天井部が抜け落ち、土砂の山と化していた。覚悟はしていたが想像以上の惨状に唖然とした。







銘板は坑口の上部のみ。南外側も同様。







取り残されたアーチ型のコンクリート部分の内側。







天井が抜けた部分より先は粘土質の洞穴のようですぐに行き止まりとなる。地下水が絶え間なく流れ落ち、

内部は崩落を繰り返しているようだ。ここには以前の隧道の姿などもう見る影も無い。

竣工した時代を考えると幾ら管理を放棄されたとは言え、この荒廃ぶりは衝撃的と言う他ないだろう。

余談だが、この地域を流れる栩平川には川の蛇行を解消するために1901年に掘られた隧道があり、現在も使用されている。






2006年10月下旬の立倉側。写真は少なくレポートも作成していなかったが、この際なので掲載したい。


  


トンネルまでの道路はやはり車では進入できないほど荒れていた。







内壁の下部が損傷し内側に張り出しているのが分かる。これが立倉トンネルを象徴しているとも言えた。




  


損傷は向かって右側が特に酷く、継ぎ目が外れ土砂が流出していた。状態は前年と比べて明らかに悪化していた。




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